5年生に進級した星野君は、

筋萎縮症という病気で出席日数が足らずに

進級できなかった定金君と同じクラスになりました。

彼は学校に行くのをいつも嫌がって、

お母さんを困らせていました。

しかし、星野君と同じクラスになってからは毎日、

喜んで学校に行くようになりました。

星野君が定金君を毎日、背負って登校してくれたからです。

定金君の家と学校の間の片道30分の道のりを、

毎日背負って登下校しました。

定金君は放課後も楽しそうに、

星野君が野球をしている姿を眺めていました。

星野君はどんなに練習が厳しくて疲れていても、

練習が終わると、定金君を背負って彼の家まで送って行きました。

教室でも昼休みや放課後の運動場でも、

星野君と定金君の二人はいつも一緒でした。

星野君は学校だけでなく、

遊び場にも定金君を連れて行きました。

雨の日には定金君が濡れないように、

リヤカーに乗せて連れていったそうです。

 

6年生になり、楽しみにしていた修学旅行が近づいてきました。

しかし、星野君は定金君が修学旅行に行けないことを知ります。

そこで 星野君は、定金君の気持ちを確かめました。

「センちゃん行きたいよ。行きたいけど無理だよ。

遠足だって一度も行ったことが無いんだから」

という返事に一瞬、言葉につまった星野君でしたが、

定金君を説得し、一緒に行けるように周りの大人にお願いをしました。

星野君のはたらきかけで、定金君も行くことができるようになりました。

そして、翌年の春、修学旅行の思い出を胸に、

星野君と定金君は、一緒に小学校を卒業することができました。


定金君との交流は小学校を卒業して大人になっても続きましたが、

彼は41歳で亡くなりました。

亡くなる少し前にも定金君は

「頑張って下さい。優勝して下さい。いつもぼくは見ています」

と星野君に話していました。

残念ながら星野君が優勝したのは

定金さんが亡くなった2週間後でしたが、

定金君のお母さんは

「息子が41歳まで生きられたのは星野さんのおかげです。

息子はいつも星野さんの活躍を見て、夢と希望をもらっていたんです。

息子にとって、星野さんは同級生で神様だったんです。

息子は幸せだったと思います。感謝しています」

と話しています。

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